027仲之内町のこと |
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現在の仲之内町付近と 昭和10年の仲之内町 |
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戦国期、仲之内は府中城の一郭にあり、慶長年間に府中の町立てが行われると、府中13町の一つとなり香丸組に属しました。 仲之内町には、隅宮稲荷神社があります。 「石岡誌」 (明治43年) には「隅宮稲荷神社……俗に福徳稲荷と云ふ、祭神は倉稲魂命にして、称徳天皇員雲三年の創建なり、祭日は陰暦毎月1日、15日、22日の3日にして、2月初午と11月15日には大祭を行ふ」とあり、年2回の大祭を行うほど賑わっていました。 江戸時代の記録には、近くに府中七薬師の一つがあり、修験者の集まる権現堂もありました。 同じ時期、仲之内には長久保赤水に学んだ兼子天聾・天来・天亮三代にわたる兼子塾がありました。天聾は、経史・書道・算術などを指導、医術に通じたので治療にもあたったといいます。 明治から昭和にかけては、醤油・清酒の醸造業や繭糸、米穀、質屋、料理屋などが軒を並べ、商都の中枢の一つでした。 そんな仲之内の祭礼の出し物は、伝統的な幌獅子です。 仲之内の獅子は、その銘から確認できる石岡最古の獅子頭で、明治29年の仲之内町福徳稲荷神社祭礼の際に製作奉納されたものと伝えられています。重さが24kg>もあり、頭上に大きな宝珠があるのが特徴です。 石岡市指定文化財で、富田のささら・土橋町の獅子とともに露払いを務めています。 昭和53年7月1日、住居表示法施行により仲之内は、府中一丁目となりました。 |
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仲之内町福徳稲荷神社の通り 福徳稲荷神社 |
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