023木之地町のこと |
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現在の木之地町付近と 昭和10年の木之地町 |
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木之地町の名は、府中城の内にある 「城の内」を語源とする説と府中六木の 「木」 に由来する説などがあります。 町内には愛宕神社があり、明治末期には土浦裁判所石岡出張所や石岡記者倶楽部、キリスト教の講義所など、町の諸団体が置かれた中心部の一翼を担っていました。常陸国総社宮の祭礼における年番16町内の一つでしたが、昭和27年に小町であることを理由に年番を辞退し、以来年番は受けていません。 木之地町には 「みろく」と呼ばれる独特のお祭りの出し物がありました。四角の屋台で口上と共に人形が踊るもので、昭和9年のお祭りに出たのが最後でそれ以後は登場していません。 昭和53年7月1日、住居表示法施行により、木之地町は府中二丁目となりました。 木之地町の地形は北が高く、南に下がっている地形です。メイン通りよりは中町から入り、宮下町につながる道沿いに有ります。現在、スーパータイヨーがある所には明治から昭和まで久保倉酒醤油醸造所がありました。その後ろの高台には上池がありましたが今は上池公園として整備されています。また、その東側には土橋町に通じる通りがあり、愛宕神社があります。 木之地町の愛宕神社は創建年代は不詳ですが、幸町の古墳の上にあり、そこから後に、この地に移されたものと伝えられています。ご祭神は迦具土命。多くの神々を生んだ伊邪那岐命・伊邪那美命が最後に生んだ火の神です。『古事記』においては火之迦具土神と書かれ、伊邪那美命が出産の時に火で焼かれたため、亡くなり、それに怒った伊邪那岐命により、火之迦具土神は十拳剣によって殺されたとあります。その時、十拳剣より落ちた血によって生まれたのが鹿島の神・建御雷之男神です。毎年旧暦の7月2日を祭礼の日と定め、氏子である町内の方が世話役として運営されてきている歴史あるお祭りです。 |
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