022 土橋(つちばし)町のこと


   現在の土橋町付近と   昭和10年の土橋町

 土橋町の地名は、中世・府中城の濠に架けられた 「土橋」 に由来します。戦国期は府中城の一角にあり、慶長年間の府中町成立後に府中13町の一つとなり、中町組に属しました。土橋町の主軸である土橋通りは、常陸国総社宮例大祭の供奉行列が必ず通る石岡のメインストリートです。通りの東端には矢口家本陣があり、反対側の西端には県指定文化財の陣屋門が昭和43年まで建っていました。

「今御陣屋の下ノ池を上池と云う也。……この辺に今土橋町……十口石碑あり、阿弥陀仏という」 (「府中雑記」寛政年間)

 ここに記された古石碑、高さ2m弱の 「怪しき形を刻む」濡れ仏は、昭和556月に市指定文化財となった風間阿弥陀のことです。

 そして、土橋の文化財の白眉は、平成41月に県指定文化財となった土橋町の獅子頭です。通称「土橋の獅子」は、その舞いも含めて石岡の幌獅子の源流であり、石岡のおまつりを代表するシンボル的存在ともいえます。

 祭礼の供奉行列で、露払いの大役を務められるのは、富田町のささらと仲之内町の獅子、そして土橋町の獅子の三つだけとなっています。

 土橋町の獅子頭は、重さ約17kg、力強く巻きあがった太い眉と黒い鼻がその特徴です。真正面から見ると左右対称ではなく、目と眉とが微妙にずれて奥行きのある表情を醸し出しています。

 その獅子頭で演じる「昇殿の舞い」は、土橋町だけに継承される伝統の獅子舞です。

 昭和5371日、住居表示法施行により土橋町は、府中二丁目となりました。


       昭和初期の土橋の獅子                    現在の土橋通り    照光寺の参道 手前の電柱の左側に見えるのが藤森稲荷

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