018・年番制度と出し物 |
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明治41年の富田のささら | ||||
明治35年から始まった年番制度について、総社宮に伝わる「祭礼議定」にはこう記されています。 明治33年8月県社に列せらるヽにより、一層荘厳にせられんがため、同35年8月29日神官氏子総代各町区長、石岡町役場に会合し協議の上左の条項の如く議決候のこと。 第一条 祭事は石岡市内16カ町にて勤任すること 第二条 年番町は例祭に角力を奉納し、神輿は其町に渡御のこと ……年番順序抽選をもって定む 一 森木町 二 大小路町 三 土橋町 四 木之地町 五 金丸町 六 守横町 七 富田町 八 仲之内町 九 宮下町 十 青木町 十一 幸町 十二 国分町 十三 中町 十四 若松町 十五 泉町 十六 香丸町 こうして常陸国総社宮例大祭の新たな形態が定められました。 祭りをいっそうすばらしいものにするために、市内16町内が力を合わせて祭事を行う。そのための年番の順序を抽選で決める。これまでは四つの町内が祭りを担当していましたが、さらに12の町内が祭礼の舞台に登場しました。 この時期、石岡町の商工業は著しい発展をとげていました。特に、醸造と製糸を中心とした産業は茨城県内トップの位置を占め、水戸につぐ第二の商都として商人層の活力は頂点にありました。 このような時代背景の中、各町内の出し物はいっそうはでやかになっていきました。 供奉行列に欠かすことのできない神輿は、明治30年9月9日に完成し総社宮に納められています。作者は棟梁小井戸彦五郎で、守木町の屋台を作った彦五郎の子です。 台幅4尺1寸の大神輿で、重さ約800kg屋根の中央部に大きな御紋があしらわれています。 平成9年9月、作られてからちょうど100年を迎えたこの年、神輿の大修復が完了。修復したのは、栃木県指定無形文化財工芸技術保持者・神輿師小川政次棟梁でした。
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