010・明神様の左大臣右大臣

常陸国総社宮のL字型参道を左に折れ、拝殿に近付くとワラ葺きの古めかしい門が待っていました。門の名は随神門。その門をくぐると、天井にはもうほとんど読めなくなった木製の相撲番付がはり付けられています。両側には、つの神像が座っています。

 市指定文化財の左大臣・右大臣、随身像と呼ばれる木彫の神像です。
 「この総社宮の境内にある建造物の中では、この随神門が一番古いものなんですよ」と先代の石崎紀夫宮司が、かつて語っていました。

 随神門の古さが総社宮一という証しは、安置された左大臣・右大臣に隠されていました。ヒノキの寄木造りの随身像は首が抜けるようになっていて、その内側に製作年号が書かれていたのです。

 「延宝八年中 九月吉日 京都五条通 大仏師 寂幻作
 正徳五天乙未 三月吉日 当地森木町 前嶋又六 奉」

 京都の仏師・寂幻によって像が完成した延宝年の35年後の正徳5年には、森木町の前嶋又六が彩色を施しています。

 記録によれば、明和4年(一七六七) に金丸町の岡野甚内が再び彩色を行っています。塗料は、ハマグリなどの貝殻を焼いて粉にした胡粉(ごふん)です。随身像の彩色は、すでに剥落して見ることはできません。

 ガラスがはめ込まれた玉眼、冠の飾りの一部は失われていますが、頭部と身体はよく保存されています。随神門と共に300年の歳月を過ごしてきた左大臣・右大臣。府中・平村と呼ばれた時代から今日まで、二人の大臣は様々な変遷と人々の姿を見つめてきたに違いありません。

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