009・平福寺の12基の五輪塔

国府五丁目の北向観音様のすぐ左手にある参道を奥へ進むと、右手に平福寺の本堂が見えます。曹洞宗の春林山平福寺は、常陸大操良望を開基と伝えられる歴史あるお寺です。

 その本堂の南側に人間の背丈ほどの立派な五輪塔が十数基立ち並んでいます。五輪卒塔婆とも呼ばれるこの墓石は、五つの異なった石が積み重なっている塔です。上から空輸・風輪・火輪・水輪・地輪と万物を表現する空風火水地の五大が表現されています。この五輪塔の下に眠るのは、いったい誰なのでしょうか。

 「新編常陸国誌」 には、次のような一節があります。
「大操氏の墳墓は府中の平福寺にあり、十二代皆五輪塔にして、誰某の分別あることなし。単に大操十二墓と称す。中央にあるもの最も大なり。これ平福寺の開基と見えたり」

 平福寺の12基の五輪塔は、常陸大掾のお墓だったのです。大掾詮国が、正平元年から数年を費やして築城した府中城。これ以後、大掾氏の満幹、頼幹、清幹、尊幹、常幹、貞国と続き、清幹の代で大掾氏は滅亡しました。天正1812月、府中城は佐竹義宣に攻められて落城し、佐竹氏の手に移ったのです。

 中世の常陸国に君臨した大掾氏ですが、そのルーツをさかのぼっていくと、桓武平氏の総帥である高望王(たかもちおう)へたどり着きます。寛平元年(八八九)、東国へ進出した高望王こと平高望の長男が、平国香であり、その甥が平将門です。

 中世の歴史が漂う平福寺の境内には、高さ32mの巨大な「大掾氏遺墟の碑」が立っていました。


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