006・尼寺ケ原の黄金伝説

昭和30年頃の尼寺ヶ原

 かつて国分尼寺跡の付近に 「ごき洗い」と呼ばれるややくぼんだ畑地がありました。「ごき」 とは、むかし木製の食器類をそう呼んだものです。漢字では「御器」書きますが、台所へ出没するあのおぞましいゴキブリのゴキは、この御器がその語源となっているそうです。食器などに集まってくる虫だからゴキブリと呼ばれるようになったというのです。
 ごき洗いは、その昔国分尼寺があった時代には池になっていて、食器などを洗った場所でした。

 今から約400年前の天正18年、佐竹義宣の大軍が、府中城を攻めて来ました。その時、国分尼寺も兵火にあい、壮大な七堂伽藍は黒煙を上げて焼失してしまいました。
 国分尼寺では、火の回りがあまりにも早く、全部の品物を持ち出すことができませんでした。最も大切な仏像や金と銀で作られた調度品、装飾品、それらの寺宝だけが何とか炎の中から運び出されました。

 焼失と略奪から逃れるため、財宝はすべてごき洗いの池に投げ込まれました。しかし、兵火の中で尼僧や寺の関係者は亡くなり、ごき洗いの池は焼け落ちた瓦や木材で埋ってしまいました。
 今でもごき洗いの地中には、黄金が眠っているのだと伝えられています。

 江戸時代、このごき洗いを掘ろうとした百姓は、崩れ落ちた土の下敷きになって死んでしまいました。仏罰を恐れた人々はそれ以来誰も掘ろうとはしません。

  朝日さす 夕日かがやく ごき洗い  黄金千枚 仏千体

 尼寺ケ原にひそかに言い伝えられたこの歌から、いにしえの常陸国の栄華を垣間見るようです。


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