003・国分寺にあった七重塔

国分寺境内の千手院山門前の右手に、金属の柵に囲まれた大きな石があります。中央に20Cmほどの穴が穿たれた直径2mの大石は、黒くどっしりとした姿を見せそこに安置されています。

 実はこの石、常陸国分寺の七重塔の心礎で、中央の穴はお釈迦様の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)が納められていたところです。

 千年以上前、この石を土台石として壮大な七重塔が建ち、絢欄(けんらん)たる国分寺の七堂伽藍(しちどうがらん)を構成していたのです。

 その後、常陸国分寺は幾度の戦火に遭い、残された心礎はいつの間にか行方知れずになっていました。発見されたのは昭和27年のことで、泉橋に近い豪商の庭園にありました。

 その年の3月、大石は泉町の大通りをコロで運ばれました。七重塔の心礎であることが確認されて、所有者の厚意と石岡町、同観光協会、石岡史蹟保存会、国分寺護持会などの協力によって、国分寺の境内へ移されることになったのです。重さ10トン以上の礎石だけに、トラックにも馬車にも乗らず、結局はレールを敷き神楽山(かくらやま)というロープ巻き取り機で一日200mほど移動していきました。当時の新聞には、「世に出る路傍の石 国分寺 七重塔心礎 道路開設で発見」とあります。

 石岡駅から水戸街道に通じる産業道路開設の第一期工事に着手したところ、この大石が工事の進行を妨げ取払うことになったのです。ところが、常陸国分寺七重塔の心礎であることが分かり、間もなく観光協会により国分寺境内に復元することになったのでした。

 6日がかりで移転した七重塔の心礎は、多くの人々の注目を集めながら国分寺境内に置かれ、今日に至っています。

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