002・千手院山門の彫刻

浄瑠璃山国分寺の本堂へ向う参道に古めかしい山門が立っています。市指定有形文化財の建造物・旧千手院山門です。

 20年ほど前、この山門は大がかりな修復工事が行われました。そのときは、茅葺き屋根が葺き替えられ、両袖の塀や彩色された正面上部の彫刻などが再現され、門に新たな表情が生まれました。

 門建立の時期がいつなのか、そのときの修復でその年号が判明しました。

「寛保三年亥十一月法印深意建立其後弟子宥恵明和四亥…成瓦茸」

 屋根の小屋組に、そんな文字が墨で残されていたのです。

 寛保3年(一七四三) に国分寺の僧侶・深意がこの門を建て24年後の明和4年に弟子の宥恵が屋根を瓦葺きに改めたという内容です。

 興味深いのは、修復工事中に発見された3校の棟札です。そこには昭和68月に大本堂の新築落成した際、旧国分寺別当職所在の中門をここに移したと書かかれていました。そして、この門を旧名に従って、中雀門とするとあります。

 千手院は国分寺の東方に隣接し、江戸時代には国分寺を凌ぐ勢いをもった古寺でした。明治以後は急速に勢力を失い、大正8年に廃寺となりました。

 当時この工事を担当した建築文化振興研究所の一色史彦さんは、その報告で次のように述べています。
「以上の記録からは、この山門が旧千手院というよりも、国分寺の名称を広義にとって、国分寺唐門というべきかも知れません」

 その唐破風(からはふ)の山門の正面にある蛙股の部分に、興味深い彫刻が彩色されてよみがえりました。

 それは、猿の顔面に鋭い爪をたてて連れ去ろうとする大鷲の図柄です。激しい煩悩のため奈落の底に落ちる人間を猿にみたて、これを救おうとする鷲は慈悲に満ちた如来の化身だという仏教説話が描かれたものです。

 間口二間に満たない門から、そこはかとなく仏教の深い歴史が伝わってきます

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