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笹川家住宅 | 笹川家住宅 | 北方文化博物館 | 北方文化博物館 |
新潟市南区味方216 | 新潟市南区味方216 | 新潟市江南区沢海2-15-25 | 新潟市江南区沢海2-15-25 |
竣工/文政9年(1826/江戸後期) | 竣工/文政9年(1826/江戸後期) | 竣工/明治20年(1887) | 竣工/明治20年(1887) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
周囲に堀をめぐらせた広大な敷地の中に笹川家は有り、江戸時代には味方組8カ村を束ねる大庄屋だった。農民ではなく郷士と呼ばれる身分で、常に役人との接触もあることから屋敷には表門や式台玄関、上段の間などを設けている。 | それらは格式の高い造りで庭園と一体化されている。十数棟の遺構がある。十数棟の遺構がある。天正年間(1573~1591)に建てられたと伝わる茅葺きの表門(巽風門) |
(旧伊藤文吉邸)伊藤家は阿賀野川と小阿賀野川に挟まれた細長い土地の沢海で、江戸中期から農業で立身し、越後一の大地主となった。主屋棟は明治20年に5代当主が建てたもの。 |
大広間棟は明治22年の竣工。三楽亭は6代当主が21才で自ら設計した異形(三角形)の数奇屋風書院で茶室としても使われた。新潟県内の刈羽と吉ヶ平から移築した二つの古民家もある。 |
新発田藩足軽長屋 | 浄念寺本堂 | 若林家住宅 | 若林家住宅 |
新発田市諏訪町3-3-3 | 村上市寺町 | 村上市三之町7-9 | 村上市三之町7-9 |
竣工/天保13年(1842/江戸後期) | 竣工/文化15年(1818/江戸後期) | 竣工/明和6年(1769/)以降 | 竣工/明和6年(1769/)以降 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
この1棟は当時の城下絵図に「北長屋三軒八住居」と記されている。桁行24間、梁間3間半、寄棟造、茅葺の八戸の棟割長屋である。1戸の間取りは半坪の入口土間、炉付の2坪半の板の間、8畳と4畳または6畳2室で、床の間や書院はなくつつましい造りの建築である。 | 藩主の菩提寺となっていた浄土宗の寺院。全体を土蔵造りとした珍しい仏堂である。桁行19.3m、梁間15.6m、重層、正面向拝一間付、軒唐破風付、銅板葺。1、2階を吹抜とし2階に回廊を巡らせた類例のない造りである。 |
曲屋形式の中級武家屋敷。主屋は桁行16.3m、梁間8.5m、寄棟造、茅葺。突出部は桁行7.6m、梁間8m、寄棟造、茅葺、東西棟は居室系、南北棟は座敷系で構成される。改造の少ない貴重な遺構である。 |
旧村上藩若林家住宅には、武家の「者頭」としての役宅部と私的居住部分からなっていることが知られる。 |
吉川家住宅・土蔵 | 千年鮭井筒屋 | 乙宝寺三重塔 | 平等寺薬師堂 |
村上市大町1-20 | 村上市小町1-12 | 胎内市乙 | 東蒲原郡阿賀町岩谷2013 |
竣工/明治期(25年の大火後) | 竣工/江戸期 | 竣工/元和5年(1619/江戸初期) | 竣工/永正14年(1517/室町後期) |
★国登録文化財 | ★国登録文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
吉川(きっかわ)家は寛政年間に米問屋と創業した老舗。現在は塩引き鮭などの販売を生業とする。桁行2間半、梁間4間反、切妻造、桟瓦葺。大きな「鮭」の字の暖簾でお馴染みの商舗。 |
街路に面してたつ近代町屋建築。桁行5間、梁間4間半、切妻造、桟瓦葺。1階部分の下屋は雁木のような役割があったとも思われる。現在は吉川家が商う食事処に活用されている。 |
純和様の三層塔婆。内外共に装飾を極力省いた簡素で重厚な品格のある塔である。棟梁は京都の小島近江守藤原吉正。 |
平維繁の建立と伝えられ、川で黄金の薬師像を見つけてこれを安置するために建立したと伝わるが確証はない。正面3間、側面4間、寄棟造、茅葺。堂内の柱や壁板に戦国時代から江戸時代にかけての落書きがあるという。 |
護徳寺観音堂 | 護徳寺観音堂 | 旧武石家住宅 | 旧武石家住宅 |
東蒲原郡阿賀町日出谷甲 | 東蒲原郡阿賀町日出谷甲 | 西蒲原郡弥彦村麓 | 西蒲原郡弥彦村麓 |
竣工/弘治3年(1557/室町後期) | 竣工/弘治3年(1557/室町後期) | 竣工/享保期(1716-36) | 竣工/昭和7年(1929) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★村指定文化財 | ★国登録文化財 |
会津領主・芦名氏が念持仏を祀ったのが始まりとされる古刹。方三間、寄棟造、茅葺。越後街道沿いだったこともあり参拝者が多く、内壁には参拝者が残した落書きがある。 |
平等寺薬師堂に似た御堂で見事な二堂が残されていることに驚かされる。 |
主屋は東を正面とし、平入、桁行7間、梁間4間、寄棟造茅葺、東側正面に茅葺おろしの形で、出が半間の庇がつく。間取りは、田の字が変形した喰違い四間取りで、ザシキ、ネマ、チャノマ、ニワ(台所)となっている。 | 主屋の南方,位置する。桁行2間,梁間1間半の規模で,切妻造,茅葺,平入,側柱のみの吹放ち建物。素朴で小規模な小屋ではあるが,茅屋根のヴォリュームが相応の存在感を与えている。 |
渡辺家住宅 | 佐藤家住宅 | 妙宣寺五重塔 | 妙宣寺仁王門 |
岩船郡関川村下関904 | 岩船郡関川村下関897 | 佐渡市阿仏坊29 | 佐渡市阿仏坊29 |
竣工/文化14年(1817/江戸後期) | 竣工/明和2年(1765/江戸中期) | 竣工/文政8年(1825/江戸後期) | 竣工/明治23年(1890) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★ |
渡辺家は酒造業、廻船業に始まり大名貸しや新田開発で財を成した。米沢街道の宿場の豪商。主屋は桁行35.1m、梁間17.8m、切妻造、一部二階建。大屋根は木羽と呼ばれる杉の薄板を羽重ねにして並べ玉石を置いて抑える日本海地域特有の「石置木羽葺屋根」。渡辺家の大屋根は玉石15000個、木羽23万枚を使用しており日本最大級の規模。 | 渡部家のすぐそばにある。渡辺家に次ぐ大地主だった旧家。米沢街道の特徴でも撞木造、茅葺。桁行23.9m、梁間26.4m。撞木造とは主屋と釜屋(炊事場)がそれぞれ独立しており、屋根がT字のなっている造りである。 |
和様の三間五層塔婆。宝形造、桟瓦葺(もとはこけら葺)。全高24m、柱に杉、松、組物に欅財が使用されている。新潟県に現存する唯一の五重塔。相川の宮大工・茂三右エ門親子が30年かけて建てたといわれ、日光東照宮の五重塔を模したといわれる。 |
仁王門は延宝5年(1677)竣工。 |
蓮華峰寺金堂 | 蓮華峰寺骨堂 | 大膳神社能舞台 | 宿根木の集落 |
佐渡市小比叡 | 佐渡市小比叡 | 佐渡市竹田561 | 佐渡市宿根木 |
竣工/長禄3年(1459)以前 | 竣工/貞和4年(1348)以前 | 竣工/弘化3年(1846/江戸後期) | 竣工/ |
★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 | ★県指定文化財 | ★国指定伝統的建造物群 |
真言宗の開祖・空海の開山という伝承を持つ古刹。金堂は境内のほぼ中央に位置する。長禄3年(1459)の墨書が発見されたことにより、建立はそれ以前であることが明らかとなり、絵様・繰形の形式から応永年間(1394〜1427)以前の建物と推定された。 | 金堂の背後、小高い位置に建つ小規模な納骨堂である。貞和4年の参詣墨書が発見され、新潟県最古の木造建築。禅宗様建築として東日本最古の属する。1間四方の美しい堂だが寺伝でも用途は明らかでなく修行僧の籠堂とも推定される。 |
佐渡には能舞台が多くあるが最古の能舞台で代表的な存在である。間口5.5m、奥行き4.4m、寄棟造、茅葺。本舞台と後座から成り鏡板には日輪と松の絵、天井には演目「道成寺」で使用する鍵穴がある。 |
近年は吉永小百合さん出演のCMの舞台にもなった。重伝建指定も早い方である。佐渡金山繁栄期の江戸寛文期に廻船業で栄えた海町。町は小木海岸の入り江の奥、小さく地味で見所も多くはないが船大工達が造ったの板壁の総二階の民家が百棟ほどある。 |
2020.02.10