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中根さんの2001年秋の出羽路
この連休、遅い夏休みをとって北前船の栄えた時代の山形を探しに行きました。 まず寒河江から河北町に入りかつて紅花の交易で栄えた商家を見ましたが、資料館に なっているここ以外にも元豪商のお宅がチラホラ見られ、賑やかだった当時を想像で きました。 近くには巨大な茅葺き家が塀の中にあり、屋根屋さんが差しガヤをしていました。毎 年まめにメインテナンスをして大事に住んでいる様子でした。ちょうどこのあたり一 帯はお米の収穫をしているところでしたが、何町歩もほとんどが杭架けで干されてお り、久しぶりに良い農村風景を見ました。

ここから、最上川沿いに行けばいいのですが、鶴岡方面へ。高速道路並みの国道を飛 ばし在りし日の田麦俣を思いました。昨年、この有名な多層民家を見に行きました が、2軒しか残っていないのが残念でした。この独特の屋根を持った家が集落で残っ ていた頃を見たかったと思います。

写真は慈恩寺三重塔(山形県指定文化財)

 河北町で慈恩寺の三重塔を見て、羽黒山の五重塔も見てみたいと思ったので、次は羽黒 山へ。

写真は羽黒山五重塔(国宝)

 周囲に溶け込んでいて「森に沈む塔」といった印象でした。白木の造りはとて も奇麗だなと思いました。山形のこの時代の寺社建築物は白木のものが多いのですが なぜなのでしょうか?

ついでなので、長い石段を登り3社合祀神社を参ってきました。あの巨大な茅葺き屋 根にはびっくりしました。民家の十倍くらいの厚みがあり、あの大きさは葺くのも、 維持するのも大変だと思いました。また、宿坊の屋根も茅葺きが多く残っており、そ の形を見るに養蚕と宿坊を兼業していた田麦俣の高破風屋根はあの形になるべくして なった気がしました。

 写真は羽黒山三神合祭殿(重要文化財)

 

翌日は、遊佐にある明治期の鰊御殿と、酒田の本間家と鐙屋を見学しました。
町屋は縁起を担いだりと理屈っぽい意匠や造りで面白いですね。帰りは、紅花
に次いだ特産物だった青ソを見るために寒河江からは大江や長井を経由しまし
た。奈良晒しで有名なこの繊維はすでに一部の民芸品として存在するばかりで
、道端に雑草のように生えているのを見ただけでした。もう一つの産物の大豆
は減反田ではなく、そのために沢山到る所で作られていました。お土産に産直
で香り豆(だだちゃ豆)を買ってきました。そして、米沢経由で帰ってきまし
た。飯豊、川西から米沢のあたりには、茅葺き民家がかなり残っており、何だ
か得した気分でした。そこらじゅうで差しガヤをしており、まだ大事に茅葺き
民家に住んでいる人が多いところだと思いました。福島ではだいたい雪解け前
の春に補修するのが一般的で、山形では冬に入る前に補修するのが一般的のよ
うに感じました。それにしても、置賜地方の民家の屋根は会津と比べればかな
り薄いと言われますが、やはり薄かったです。これには盆地の気候的な要素も
大きいのかなと思いました。また、その分まめに補修するのでしょうか、何回
もそういった風景を見ました。技術的にも素朴な印象です。茅葺きにしては維
持管理が比較的簡単で?、暑い夏に過ごし易い事などから茅葺きの屋根がまだ
沢山残っているのかなとも思いました(あくまでも推論ですが)。
屋根にまで興味がいくようになったのはこの2年くらい、自分が将来住みたい
と思うようになってからです。だから、これまで何度も山形を見ていますが茅
葺きにまで視点が向いていませんでした、今回新しい発見したような気がしま
す。